中国・武漢市とは

中国・武漢市は今では新型コロナウイルスの発生地として世界的にその名前を知られていますが、武漢の日本での知名度はこれまで高かったとはいえず、中国でビジネスを展開している方なら知っているかなという程度でした。

 

 

武漢は人口1,100万人を有する中国中部地方及び長江中流域唯一のメガシティで、湖北省の省都および華中地方唯一の副省級市でもあり、また、中国有数の工業都市、文教都市及び交通要衝でもあります。
中国の地図を見ると、武漢は北に北京、東に上海、南に広州、西に成都とこれらの都市のほぼ真ん中に位置しており、高速鉄道網が整備された今日ではビジネス拠点としての利便性が高まっています。

 

 

この地域は交通の要衝であることから、商業の中心地となり、漢口、武昌、漢陽という3つの街が発達しましたが、長江、漢江という大河が横たわり、一般住民の往来は不便でした。
この3地域が合併されて武漢と命名されたのは約90年前の1926年で、「江城」という異称もあります。
また、武漢は「百湖の市」とも呼ばれ市内に数多くの湖があり、水域面積は全市面積の約4分の1を占めるほどです。

 

 

中国政府の発展戦略においても武漢は重要視されており、沿海部と内陸部の格差縮小のための「中部崛起」計画(2006年〜)、長江沿岸地域の開発の連動のための「長江経済ベルト」(2015年〜)においてそれぞれ中心的な役割が期待されています。

 

 

武漢はまた、歴史的に大きな役割をはたした地域でもあります。
1858年、アロー戦争期に締結された天津条約で漢口が開港され、日本も租界を設置しており、1911年には辛亥革命の幕開けとなった武昌起義が発生しています。
武漢で最も有名な名勝地である黄鶴楼は、三国時代に呉の孫権が魏の曹丕と対峙するなかで軍事上の物見櫓として武昌に建設したものであり、この地が古来より重要な地域であったことがうかがえます。

 

 

武漢には中国有数の桜の名所である武漢大学(国家重点大学)があります。
武漢大学は武大と略称され、前身は清代の1893年に湖広総督張之洞により創立された自強学堂です。
武漢大学は東湖の景勝地区に面し珞珈山に囲まれており、世界で最も美しい大学の一つといわれています。